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zoom RSS OLAFの水上バス隅田川岸お花見 @(’08/03)

<<   作成日時 : 2008/03/31 18:34   >>

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OLAFは例年とはチョッと違う隅田川水上バスで川からのお花見を楽しむ。天気はあまり良くないが雨は降ってない。寒そうなので、厚着をしていく。

両国発ということで、両国の水上バス乗り場へ。
到着すると定期便の他にお花見特別便が有るという。
『本日販売分、最後の4名様、まだ席有るよ〜〜〜〜。』という事。ラッキー!!乗船券を買って飛び乗る。並んでいる人は事前受付の葉書持参の人ばかり。

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職員さんのお見送り。都がやっているバスなので都の職員さんか?

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本日のコースは両国から桜橋経由、浜離宮まで。途中では、津軽三味線の生演奏も楽しめるという。

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最初、上流へ向かいまず蔵前橋へ

幕府の貢米を収納していた米蔵94棟、他に御蔵奉行などの付属物があった広大な土地の大路を蔵前通りと呼び、それに因んでこの名前になったそうです。
米蔵の他にも、近代になると 政府関係の倉庫など、文字通り蔵の街となり栄えた地域がここ、現在の橋は震災後の復興計画で、昭和2年に新たに架けられた橋だそうです。

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めったに見る事の出来ない橋の裏面。

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橋を越すとミッキーの絵が書かれたNTTのビルが見えた。

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次は厩橋。この地域は、江戸時代は蔵前にある幕府の米蔵に付属する厩が並び、対岸へ渡す手段として「御厩の渡し」があったそうです。
その後、ここにも有料の木橋が架けられ、 現在の姿になったのは昭和4年(1929)だそうです。
その後明治20年に東京府に移管されました。
その後、トラス橋に架け替えられましたが、関東大震災で橋床部分が焼失したため、昭和4年に現在の橋になったそうです。

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次は 駒形橋。昔はここにも 「駒形の渡し」があったそうです。
現在の、優美なアーチ橋になったのは 関東大震災後の復興事業として昭和2年(1927)に建設されたそうです。
橋名の由来は、橋の西詰めにあった駒形堂に由来して名付けられたそうです。

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水上バスの横を、水上バイクが激しい音をたてて通り過ぎる。さむそ〜〜〜。

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次は吾妻橋。 「竹町の渡し」があったが安永三年(1774)に初めて橋が架けられたそうだ。
正式には大川橋といったが町人の手によって架せられ、江戸っ子は江戸城より東なので吾妻橋と呼んだそうだ。
明治20年に隅田川で初めてかけられた鉄の(トラス)橋が震災で焼け落ち、震災復興計画で昭和3年に現在の上路式三径間アーチ橋が架けられたそうです。

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この辺りから、満開の桜並木が見えてくる。川から見る桜はまた格別。

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京成の浅草・日光特急が橋を渡たっていた。

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次は言問橋。上流右岸の待乳山聖天と左岸の向島三囲神社をつなぎ右岸の船宿・竹屋の「竹屋の渡し」があり、下流に源森川出口から浅草観音への「山宿の渡し」があったそうです。
震災復興計画により昭和3年に架けられたそうです。

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あれOLAF?どうしたの!

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最後のユーターン場所の桜橋。隅田川で初めての人道橋で台東区・墨田区が共同して区が作った橋。
昭和60年に完成。三径間連続のX形曲線箱桁橋。

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桜橋でユーターンして川下へ。

船内では津軽三味線の演奏が始まる。花見と津軽三味線。面白い取り合わせ。

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出発の両国乗り場まで戻ってきた。
違う、水上バスが留まっていた。

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次は両国橋。現代の靖国通りも、この橋を渡ると京葉道路と名を変えます。
武蔵と下総の二国を結ぶ橋なので両国橋といいます。
明暦の大火で多数の犠牲者がでたことから、防災上の必要性と、江戸市街の拡張を目的として万治2年に架けられました。

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次は新大橋。元禄6年(1693)に木橋がかけられ、当時、現在の両国橋を 「大橋」と呼んでいたので、こちらを「新大橋」としたそうです。
その後、明治45年 に鉄橋として架けられたトラス橋は大正12年の関東大震災に耐えました、昭和51年に現在の斜張橋になったそうです。

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(次のブログへ続く。)

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