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zoom RSS OLAF思い出のアルバム(’93/8 ロシア旅行@)

<<   作成日時 : 2007/11/03 23:38   >>

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冷戦の終焉とソ連の崩壊が1991年12月25日に起きた。ソ連大統領ゴルバチョフが辞任し、同時に各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体され消滅した。 これにより、ソ連共産党の一党独裁による社会主義体制が名実共に崩壊した。それから2年後、未だ混乱が治まらないロシアに例の異業種交流会のメンバー達と旅行をした。モスクワ、サンクトペテルブルグの観光と現地日本人との交流を中心に5泊6日を過ごした。
驚いたのは、帰国して1ヶ月後の9月にモスクワ騒乱事件が勃発した。旅行の時、綺麗だったホワイトハウスに反エリツィン陣営が立て籠もった。エリツィンが、かつて自分が立て籠もったホワイトハウスに戦車部隊に命じ、砲撃し鎮圧した。攻撃され黒く焦げた姿が新聞、TVのニュースで見て、びっくりした。結果的には、混乱の間の短期間にロシアを見てきた事になった。驚きの結果となった。


8月23日
12時成田をアエロフロートでモスクワに向け出発。10時間飛び現地時間PM5時過ぎモスクワへ到着。
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(モスクワの主要空港はシェレメチェボ空港 、ドモジェドヴォ空港 、ヴヌーコヴォ国際空港の3つである。OLAFが到着したのはシェレメチェボ空港 。なんだか暗い雰囲気の空港。お国柄か)

空港から市内までバスで約1時間。
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ホテルはコスモスホテル。このホテルは、1980年モスクワオリンピックに合わせて建設された。モスクワオリンピックはソビエト軍のアフガン侵攻に対する制裁措置として、アメリカのカーター大統領がボイコットを表明し、日本もそれに従って不参加だった。
モスクワ中心部から9キロ に位置し、25階建て1,777室の大ホテル。ロシアのホテルにはトイレットペーパーが付いてないと言う事で、日本からトイレットペーパーを持参したが、一応厚手の酷いペーパーが付いてはいた。

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(ホテルから見えたガガーリン記念碑。)
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日ロ経済協力会主催の夕食会。その時に出てきた、ペプシコーラもどきを見てビックリ!中味の容量が一定してない!!さすがロシア・・・・
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今回の旅行日程と案内。
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8月24日
本日は、モスクワ市内観光とクレムリンの見学予定。

朝食前に、近隣を散歩する事にした。昨日ホテルから見えたガガーリン記念碑に行きました。
ガガーリンは1961年4月12日水曜日に ボストーク1号で宇宙の旅をしました。現地時間の午前9時08分にバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。このフライトにおける彼のコールサインは"シーダー(杉の木)"。このプログラムの主任担当者であったセルゲイ・コロレフは地上からガガーリンに"こちら、ドーン(夜明け)シーダー応答せよ!"と呼びかける。『地球が見える!本当に美しい!!』と答えが返ってきました。
ガガーリンは歴史的な108分間の宇宙飛行により地球軌道上を一周、その後ボストーク1号カプセルのパラシュートでロシア近郊の平原に着地した。この宇宙飛行により、彼は地球軌道を回った最初の人類そして、世界的なヒーローとなりました。


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ホテルに戻る時、地下鉄の駅があった。そこにキオスクが店を構えている。
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ホテルで朝食。なんとなく貧しい食事。
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朝から、ウエイトレスさんの小遣い稼ぎのアルバイトか?キャビアの缶詰を堂々と売りにくる。『本日モスクワの第一日目。未だお土産は買わない』といって断るもかなりシツコイ。
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赤の広場の付近だったが、クーデターで破壊されたレーニン像の台座を取り壊している風景が見られた。未だ、2年前の後片付け中といった風景・・・
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いよいよ赤の広場へ到着。赤の広場はモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿で、世界遺産にも登録されている。ソ連時代にソ連共産党の中枢があったことから、その別名としても有名。城壁の総延長は2.25kmで20の城門がある。現在はロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれ、正面には赤の広場がある。レーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟は城壁に接しており、広場の北には国立百貨店グム、西には国立歴史博物館、東には葱坊主の屋根の聖ヴァシーリー寺院などがある。

スバスカヤ塔で、クレムリン宮殿の東側にある時計台。
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次はモスクワといったらこのネギ坊主、聖ヴァシリー寺院です。
民衆に尊敬され、イワン雷帝にも多大な影響を与えたワシリー修道僧にちなんで名づけられた。真ん中の高い礼拝堂はキリストを表しているとされている。その周囲に8つの礼拝堂があり、その配置は不均衡であるにもかかわらず、不思議な調和がとれている。この教会は、イワン雷帝がカザン汗を倒したのを記念して2人の建築家ピースニクとバルマに設計させたものだが、皇帝は完成した寺院の独特の構図や色彩の美しさに驚き、これ以上美しいものが造れないよう2人の目をくり抜いてしまったといわれている。

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ソ連時代には内閣がここにおかれていました。ソビエト連邦内閣館と呼ばれていたようです。レーニンも執務していました。3階にはレーニンが執務した部屋があって、博物館として保存されているようです。現在はロシア連邦大統領府。これをバックにパチリ。

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ウスペンスキー寺院
「聖母昇天聖堂」の意味で、1472年〜79年ウラジーミルのウスペンスキー寺院を模して作られた。ロシアの国教の総本山として皇帝の戴冠式が執り行われていた。1551年作のイワン雷帝の木造の玉座がある。

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イワン大帝の鐘楼
1508年に建立された。当時は教会と鐘楼、そして全市の見張台と信号塔に使用されていたもので、現在の形に完成したのは1600年のことである。22の大鐘と約30の小鐘があり、鐘楼の高さは80メートル、地中の土台は36メートルにもおよぶ。
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イワン雷帝の鐘楼の前には、全高6.1メートル、直径6.6メートル、重量200トンの鐘の皇帝(鐘の王様)が置かれている。
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さらに鐘楼の裏手、イワノフスカヤ広場に面して、大砲の皇帝(大砲の王様)が置いてある。この中世における世界最大のカノン砲は、1586年ロシアの兵器工アンドレイ・チョーホフによって鋳造された大砲である。砲身は全長5.3メートル、厚さ15センチ、口径89センチ、重量40トンの怪物級である。但し、この大砲は一度も発射されたことは無い。
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グラノヴィータヤ宮殿
サボールナヤ広場(聖堂広場)の西にあります。ここでは、外国からの使節団を迎える式典が催されたという。グラノヴィータヤとは「多面」を意味し、正面を装飾する石が多面体であることに由来するということです。この建物も二人のイタリア人建築家、マルコ・ルッフォとピエトロ・アントニオ・ソラーリの指導のもとに、1487年から1491年に建てられました。
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クレムリンの中にただ一つのレーニン像がありました。
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レーニン廟

赤の広場の中央西側にレーニン廟があり、安置保存されているレーニンを見学しました。
銃を右手に銃口を上に向けて持ち,足を高く上げてゆっくりと歩を進める衛兵の姿は,当時のモスクワの観光名物でした。この制度は連邦崩壊後も続けられていましたが,1993年10月の,ロシア最高会議派による反エリツィン(当時大統領)クーデター失敗直後に廃止になり今ではもう見る事が出来ないそうです。

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午前の部を終了しホテルウクライナで昼食。

牛だか豚だか解らない硬い肉。サラダは付いてない。生野菜はどうなってる?

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次ブログへ続く。

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